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着物の歴史、どれくらい知っていますか?

お着物は堅苦しいというイメージがあるかもしれませんが、最近は若い方もお洋服を楽しむのと同じ感覚でお着物を楽しんでいます。そこで、今日はその着物の歴史をさらりとご紹介。着物好き同士や外国人のお友達とのおしゃべりの種にどうぞ。

着物はいつからできたのか。

平安神宮

平安神宮

今の着物はある日突然発祥したのではなく、2000年近い時間をかけて少しずつ変化が加えられて来たものです。

元は弥生時代に着られていた貫頭衣という、2枚の布を真ん中を除いて縫い合わせ、開いた真ん中に頭を通して着ていたもので、それでは寒いからと袖が付き、衿が付き、袵が付きと改良されていったと考えられています。

ですから今でも着物は、2枚の布を背中部分を縫い合わせ、袖、衿、袵が付けられて仕立てられています。

現代の着物の原型は、平安貴族の下着である白一色の単(裏地なし)です。それが武士の世になって動きやすさを求められるうちに表着となり、柄が付き、やがて重ね着しなくなって裏地が付いていきます。

そう言えば、平安時代の2つ前の時代である飛鳥時代の古墳、高松塚古墳の西壁の女子群の衣装は、いわゆる着物とはちょっと違う感じです。ちなみに、彼女たちは飛鳥美人と言われています。

もう少し詳細に。平安時代:日本の自然環境に合った服装に進化。

京都・仁和寺の桜

京都・仁和寺の桜

平安貴族たちの服装は,延暦13(794)年に都が平安京に移ってから百年ほどの間は唐文化の影響が強く,奈良時代以来の唐風の服装を使用していました。その後,9世紀後半になると,唐の文化に憧れながらも,日本の自然環境に順応した生活様式を形成し,服装もまた独自の形式を生み出していきます。それが絵巻物や祭礼等でよく見る「束帯」や「女房装束(十二単<じゅうにひとえ>)」などであり,現代の人々のイメージする平安時代の服装とはこれらの衣装を指しています。
 この頃の服装の特徴は,曲線的なやわらかさと重ね色目の調和による優雅な服飾美にあり,非常にゆったりとした仕立てになっていました。これは,王朝貴族の生活が座ることを基本の形にしていたためであり,また,湿度が高く蒸し暑い京都の夏に理由があるともいわれています。
着物を着る時だけでなく、生活にちょっとした四季の彩りをつける時、十二単の重ねの色目は参考になります。現代人が見てもハッとするような組み合わせで、だたの色合わせなのに、名前から香り立ちます。上手に四季を表していますよね。

鎌倉・室町時代:シンプルで動きやすいことが大切に。

枯山水

枯山水

庶民が着ていた水干が基になって直垂(ひたたれ)ができた。鎌倉時代、直垂は武家の礼服になった。室町時代へ入ると直垂は武家の第一正装となった。
大紋(だいもん)、素襖(すおう)が出現した。
女性用の衣服も簡易化の一途をたどり、裳(も)は徐々に短くなり袴へと転化し、やがて無くなった。この後は小袖の上に腰巻き、湯巻きをまとう形になった。小袖の上に丈の長い小袖を引っ掛けて着る打掛ができた。
鎌倉時代以降、武士の台頭などが注目されて、男性の活躍が目立つ時代に入っていきますが、女性も動きが制約される十二単から動きやすい小袖に着物を変えて、協力していたんだろうと思います。実際、十二単を着ているよりも体は楽なのではないでしょうか。

安土・桃山時代:小袖が衣服の主役に。

松本城

松本城

この時代の衣服は、南蛮文化の渡来、外国貿易のさかんな都市の発展など、さまざまな社会的影響を受けている。
 材料不足による衣服形態の簡略化が進んだことにより、身分の上下による衣服形態の相違が、非常に狭くなった。この時代以降、小袖が衣服の主役となっていく。小袖の補助的役割として、女性の打掛、腰巻、男性の狩衣、羽織、上下などがあった。
 庶民、農民の姿は明白でないが、木綿を衣料とした小袖を着用していたようだ。
 はつらつとした安土桃山時代の衣服の特色は、その自由さにあった。
この時代の衣装は、大河ドラマなどでもおなじみです。刺繍に金・銀の箔を併用した豪華な繍箔や、幻とも言われる「辻ヶ花染」は、この時代に生まれました。

江戸時代:現代の和装の基盤が完成。

皇居のお堀と松

皇居のお堀と松

江戸時代に入るといちだんと町人の力が強くなり、きもの、帯の素材や模様だけでなく、帯の結び方、髪形、小物の細工なども凝ったものがどんどん生み出されます。友禅や西陣織が開花するのもこのころです。それが鎖国によって、いっそう日本独自の文化として培われ、現代の和装の基盤ができ上がります。
着物の決まり事の多くが、江戸時代に決まりました。決まり事自体に伝統があるのです。そう簡単には変えられません。とはいえ、それに振り回されてしまうのも、残念なことです。間違っていたら、間違っていたで良いのではないでしょうか。

余談:お太鼓結びは江戸時代後期に登場。考えたのは芸者さん。

赤い橋と色づく楓

赤い橋と色づく楓

お太鼓結びの起源は江戸・亀戸天神社の太鼓橋にあったことをご存じですか。
約200年前、反橋が再建落成された際に、華やかな深川の芸者さんたちが渡り染めによばれました。
粋でお洒落なお姉さん方がこの式典で世間にあっと言わせたのが、きっちりと太鼓橋に似せて結んだ全く新しい帯の結び方でした。
以前はだらっとした結びが主流だったと言われています。
以来全国に瞬く間に広まり現在でも、もっともスタンダードな結びとして親しまれています。

明治時代以降:洋装化は進んだものの、今も伝統行事時には欠かせない存在。

浜離宮の桜

浜離宮の桜

今では老若男女を問わず、ほとんどの人が洋服を着ます。むしろ和服を着ることの方が珍しく、七五三や成人式、結婚式のような晴れの日にしか、袖を通す機会もなくなってきたのではないでしょうか。では日本人は、いつ頃から和服を脱ぎ捨て、洋服を着るようになったのでしょうか。それは明治初期のことでしたが、まだ限られた人々のみが洋服を着はじめた、という状況に過ぎませんでした。・・・
男性用の洋服は、すでに幕末には軍隊などで用いられていましたが、明治初期に官僚の制服が洋装になったことで、その後、民間にも徐々に普及していきます。・・・
一方、女性が初めて洋服を着たのは、男性に少し遅れて鹿鳴館の時代です。・・・
洋服は当時はとても高価なぜいたく品だったので、これに手の届かない庶民はそれまで通りに和服を着ていました。・・・
週末、ちょっと外に出て、カフェなどに座っていると、着物をおしゃれに着ている方をよく目にします。着物用にそろえてものでなくても、意外に使えるものはあります。和洋折衷、大いにありだと思います。
いかがでしたでしょうか。一つでも新しい情報があったら、嬉しいです。
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