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【着物の歴史】を知ろう

日本が誇る伝統の一つである「着物」。そもそも着物ってどうしてあの形なの?どうして着物という伝統は引き継がれ続けてきたの?という素朴な疑問がわく私のような方のためにその歴史を探ってみました。

日本人で「着物」を知らない人はまずいませんが、その起源までは意外と知られていないような気がします。今回は日本の歴史を遡り、そのルーツをたどってみました。その時代の時代背景に合った形や着こなし方をご紹介していきます。

着物はいつから着られているのか?

日本の代表的な民族衣装である「着物」。着物の歴史をさかのぼると、縄文時代の貫頭衣〔かんとうい〕にまで辿り着きます。飛鳥時代の唐文化の影響、平安時代の鮮やかな十二単。日本の歴史のなかで、着物文化は私達と切り離す事ができません。
着物が現在の形になるまで長い歴史があるようです。まずは年代別にまとめてみました。いくつかはその昔、教科書で見た覚えがあるものも・・・。

縄文・弥生時代

三世紀に書かれた中国の歴史書「魏志倭人伝」には、弥生時代の日本人が着ていたものが記録されています。それによると、男性は一枚の布を体に巻きつけ(巻布衣[かんぷい]という)、女性は貫頭衣[かんとうい]という袖なしの衣服を着ていました。
貫頭衣

貫頭衣

古墳時代

弥生時代の後期から五~六世紀の古墳時代には、埴輪に見られるようなツーピース型の衣服を着るようになりました。男性はズボンのようなもの、女性はロングスカートのようなものを下半身にみにつけ、上半身には短衣を着用していました。やがて古墳時代も後期になると、大陸の文化が入ってきます。その影響で日本人の衣服も次第に大陸の影響を受けるようになりました。この時代は「左衽着装法[さじんちゃくそうほう]」といって男女とも、左前に衿を合わせていました。

(左)古墳時代 (右)奈良時代

飛鳥・奈良時代

七世紀に入ると大陸文化の伝来は顕著になり、中国から仏教が伝わりました。聖徳太子を摂政とした推古天皇の時代です。一躍有名になった高松塚古墳の「飛鳥美人」からも窺えるように、女性の衣服はひざ下までと長く、袖幅も比較的ゆったりしています。また、肩にはスカーフのようなものをかけていたようです。男性は頭に冠をかぶり、詰め衿式の長い袍[ほう]を着て袴[はかま]をはいていました。養老三年(西暦719年)二月三日に、元正天皇が「衣服令」を発令。衿は右を先に合わせる「右衽着装法[うじんちゃくそうほう]」が用いられるようになりました。

平安時代

最初は奈良時代の服装の延長ですが、やがて身幅・袖幅の広いゆったりとした衣服が好まれるようになって、十二単[じゅうにひとえ]や束帯[そくたい]へと移行していきました。九世紀末に遣唐使が廃止されると、大陸との交流が途絶えました。日本は大陸文化の影響を残しながらも、和風文化を作り上げる時代に入っていくことになったのです。その一つが重ね着の風習です。しかも、色を重ねて季節感を表現する完成は、まさに日本人ならではのもの。一方、庶民は筒袖をもった小袖を着ていました。
平安装束

平安装束

結婚の儀の際の天皇・皇后陛下です。

鎌倉・室町時代

鎌倉時代に入ると、武家の社会進出とともに、平安時代の優雅な服装は影をひそめ、動きやすい現実的なものが好まれるようになってきます。平安時代に貴族に仕えていた武家や庶民は、日常生活では小袖を身につけていたので、時代の経過とともに、それが主流になってきたということでしょう。鎌倉時代の終わりから室町時代にかけては戦乱が相次ぎ、京都は戦場になりました。

この時代は戦乱に見舞われていたため、より動きやすく実用的な服装になることが最優先されていたようです。

安土桃山時代

この時代はわずか四〇年ほどですが、この後の平和な時代の幕開けです。長い戦乱の世から解放された性もあり、中国や西欧諸国からもたらされた染色技術や染織品の影響を受け、デザインや色彩に瑞々しさと伸びやかさが感じられます。そして、桃山時代から江戸時代にかけて、男性も女性も武士も町人も、すべての人が小袖を着るようになりました。

江戸時代

平安時代以降、小袖を着る社会階層が増えていきました。庶民にとっては、最初から素肌に来ていた一枚の衣服が一般化されたということでしょう。江戸時代は身幅、袖丈、袖幅など小袖の形も少しずつ変わっていきますが、大きく変化したのは衣装や染織技術です。鹿の子絞[かのこしぼり]、有禅染[ゆうぜんぞめ]など華やかなものが生れ、たびたび奢侈禁止令[しゃしきんしれい]が出されました。
江戸時代庶民の服装

江戸時代庶民の服装

江戸時代に入ると庶民と武士の服装はだいぶ異なっていたようですが、江戸の庶民はこのような着物が一般的だったようです。

フランス画家の巨匠 クロード・モネも魅了した着物

今では海外でも広く知られている日本の着物、特に欧米ではとても人気があります。古くは、19世紀中頃に万国博覧会をきっかけに日本の文化や芸術がヨーロッパの人々の間で人気となり「ジャポニスム」(日本趣味)というブームが起こりました。フランスの印象派の画家クロード・モネは「ラ・ジャポネーズ」という絵の中で、美しい着物をまとったフランス人女性の姿を描いています。またイギリスでは老舗ファブリックメーカーのリバティ社が日本風のデザインの布地を販売して、ファッションの世界でも日本の着物文化が新しい美として受け入れられました。
着物は手足の長い外国人にはなかなかぴったりというわけにもいかず、憧れの対象となるようです。機会があれば海外でのオペラ、バレエ鑑賞の際にもぜひ身に着けたいものです。たしかに年始のウィーンフィルコンサートの中継をテレビで見ると、着物を着ている女性が見受けられますが、とても美しくて目立ちますね!日本人の体形に合った日本の伝統文化を身に着けることは、国民性を普段意識することの少ない私たちにとって日本人としてのアイデンティティを再確認できる最高の機会でもあるということですね。
クロード・モネ「ラ・ジャポネーズ」

クロード・モネ「ラ・ジャポネーズ」

着物を「ユネスコ無形文化遺産」に?!

京都商工会議所(京都府)などは10日、東京の日本橋三井ホールで「きものサミットIN東京」を開催した。平成8年から毎年実施されている同事業は、和装振興と和装産地の連携を図ることを目的としたもの。毎回、日本の民族衣装である「きもの」と、きものに代表される「日本文化」の継承についてサミット宣言文を採択し、全国に発信する。
 第15回目の開催となる同サミットでは、衆議院議長の伊吹文明氏による基調講演や、「きもののユネスコ無形文化遺産登録を目指して」のテーマのもと、パネルディスカッションを実施。最後に「東京オリンピック・パラリンピックに向けてのきもの文化」および「きものの無形文化遺産登録」を目指すことを盛り込んだ「サミット宣言」を採択した。
長い歴史の中で育まれた着物の文化。祖先からの大切なギフトでもある着物のという伝統文化をこれからもずっと守っていきたいと改めて思いました。
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